政治家として最後の課題

最後の最後に、政治家としてやらなければならない事は何なのか?
私は、資本主義という社会システムに次ぐ、次の社会システムの設計こそ、我々政治家が取り組まなければならない事項であると考えております。

社会を豊かにするために確立された、資本主義という経済制度は、産業革命以来、この世界を牽引してきた制度です。確かに、日本人で餓死する者はほとんどいなくなったし、我々の世界は、モノがあふれ豊かになってきました。

これは、資本主義というシステムがもたらした大きな利益であると思うが、一方で、貧富の差が拡大し、生活は満たされていても心は満たされていないという人々が多くいることも、この資本主義システムの持つ一面であると考えます。

近年特に、グローバリゼーション、極端な機械化によって、人の居場所が少なくなってきています。

勝ち組と呼ばれる大規模な資本家は、安い雇用を求めて国境を無視して資本を動かすことができるが、我々市民は、そうそう国境を越えられるものでは無いでしょう。

工場などの生産現場の機械化・集約化、ネットビジネスの発達などにより、人手がかからなくなり雇用が減少する。生産センターの国外化により雇用が減少する。その一方で新産業や新需要による雇用の増加が、雇用減少量に対応できるとは思えません。

日本が、世界の工場であった時代は終わり、中国に移り、東南アジアに移り、次はアフリカかインドか?などと言われていますが、果たしてその先に何があるでしょうか?日本でも商店街が元気をなくし、小売店が元気をなくしというものを目の当たりにしています。

アメリカでは「ウォール街を占拠せよ」デモなどが起こりました。このアメリカでも、新自由主義的な考えに基づいた「グローバリスト」と呼ばれる世界レベルの企業が、本社を海外へ移転し、租税回避行為を行う事に対する怨嗟の声があります。何かおかしい・・・ という事だけは分かるはずです。

デフレの原因は景気が悪い事だと言うが、根本的には、安価な労働力を持つ外国とのグローバリゼーションの進展が原因ではないだろうか?と考えます。

日本はまだ、素材や機械その他において、明らかに他国を凌ぐ力を持っているため、この状態のまま、世界中の所得格差をなくすことが出来れば、生産センターとしての地位は日本に戻ってくる。そして、日本は(というかほとんど日本のみが)繁栄できるのではないかと思います。

ですが果たして、日本だけが繁栄すればそれで良いのか?そういう状況はおそらく長続きはしないでしょうし、格差を解消しようという動きは、決して個人間だけではなく国家間にも起こりうることでしょうから、それがベストな答えであるとは思えません。

ではこの先、グローバリゼーションと機械化が進む世の中で、資本主義というシステムは世界の市民を豊かな状態で保つことができるのか?
実際にある議論として、資本主義システムが賞味期限切れなのではないか?

間違いなく、考えるべき時期に来ている事は事実です。

私は、技術革新、消費者の立場での利益確保等のためには、適度な競争は奨励すべきものであると思っています。ですが、税の再配分による方法か、新たな経済システムを部分的に導入することによる、人の居場所確保はしなければならないと考えます。

もちろん、人の居場所づくりが、単に国に飼われるような制度になってしまっては、人としての向上心を削ぐため、反対です。

既存のシステムのみに頼り切っている状態は健全ではありません。
新しい社会システムをいまから議論する事も必要です。
何かあって、日本がガタガタになってからの議論では遅すぎる。

このような問題に対応できるような日本でありたいと思いますし、対応できる政治家にならなければならない。

これが、最後にすべき事と考えています。